日本のゲームではあるんだけど、nier automataのキャラクターは英語で話してくれたほうがしっくりくる。
当方LGのウルトラワイドモニター使いなのですが、此度に画面分割のため[OnScreen Control]というソフトを入れてみました。
これがまー使いやすい!
29インチなので8分割とかはしないけど、3分割とか4分割とかが簡単にできるのは大助かりである。
配置も調整しやすいし、これは有難いね。
今まで手動で調節してたのがかなり楽になった。
同じサイズのモニターがもう一枚あって、テレワークで使うPCの画面を映してるんだけど、これも含めてデュアルにした時にどう動くかだけ試しておきたひ。
動画投稿サイトにある思い出を収集し始めた。
時間かかりそうだけど凄く楽しい。
具体的には喫煙間隔が体感3倍に延びるくらいには楽しいぜ。
ただ、改めて見直してると非公開になってたり削除されてたりが少なくないね。
問題解決に乗り出すのが遅かった証拠か。
後悔しても仕方ないから今ある分をかき集めよう。
第一夜しか記憶になかったけど、全部読んでみたらこれまた面白い。
解説みたいなのが巷に転がっていて、(当たり前だけど)文学作品としてそりゃあ価値がある。
これを『夢日記を書いている者』という立場で読んだわけなんだけど、やはりこれまた面白い。
「あるある、こういう流れある!」みたいな箇所が幾つかあった。
別にこの作品が夢日記なわけじゃないけど。
第四夜とか凄くそれっぽい。
俺は睡眠を挟んでリフレッシュするタイプなんだけど、夢日記を書き始めてから『前の晩に見た夢の精神状態が今晩まで続く』ことがよくある。
親友が死んだ夢を見た時は夢の中で錯乱してたんだけど、起きてから次に眠るまで『本当に親友が死んでしまった』精神状態で過ごしてた。
と言っても錯乱していたわけじゃなくて、しんみりしていた感じ。
悪い気はしない。
どうせ今の日常に美しさは存在しない。
タイムトラベラーであるくらいが丁度良い。
アクチュアリーの過去問解答例をプリントアウトして注釈書きまくってて、それを電子化しようとしたけど時間かかりまくる未来しか見えなかったから止めた。
PDF化しようとしてAdobe Acrobat Web使ったらテキストボックスがバグってジラついてストップ。
それなら一度Wordに吐き出して、Wordで編集したものをPDFに戻せば良いかと思ったら、無編集でPDF→Word→PDFと変換しただけでレイアウトが崩壊してストップ。
仕方ないからWordに注釈だけ書き出そうかとしたんだけど、これがまた何時間ももかかりそうな感じがしてストップ。
良案が浮かぶまで紙のまま放置することにしましたとさ。
金払って誰かにやってもらおうかとも思ったけど校正面倒だし、そもそも電子化したけど一度も見ないっていう可能性すらあるしね。
情報も重要だけど時間も重要ってことで。
というかやる気が出ないことを長々とやりたくなすび(´・_・`)
思春期に読みたかった。
思春期に読んで、俗世に浸って読み返して、「こんな時もあったなあ」と回顧するような立ち位置にいて欲しかった。
俺は臨床心理に詳しいわけでもないし、社会を信じられなければ世代という概念への関心も喪失してるんだけど、アイデンティティはそれなりに形成できていると思っていた。
んだけど、女生徒における主人公が纏う厭世観のようなものが自分の心情と重なる度に、自分のアイデンティティが明らかに思春期の心理を土台として構築されていることを知った。
多分、俺の中では[社会性を持つ=俗世に浸る]という構図がある。
社会における相互扶助よりも、社会の汚らしさのほうがよく目に入る。
だから子供は欲しくない。
あと、世代については本当に関心を抱けない。
結婚したい(というか一緒に生きていきたい)相手はいるんだけど、双方の家族を含めて結婚だとかいう観念が思いっきり欠落している。
これについては原因がわかりきっているんだけど、原因がわかっていることは解決策がわかっていることに直結するわけでもなく、そもそも解決の必要性を見出せない状態にある。
「解決できない」ではなく「積極的に解決する気にならない」なんだよね。
※センシティブな内容を含みます。
中学生だか高校生だかの頃の話です。
家族でスキーをしに行った時に、リフト前で父親が「ラーメンが食べたいなあ。」と言いました。
それを聞いた私は、その単語が何を表すのかを知らず、「俺はザー●●が食べたい!」と連呼し始めました。
当時は麺類の仲間だと思っていたためです。
改めて書くまでもないかもしれませんが、●●の中身は麺です。
父親は慌てて小声で「ザー●●って◯◯のことだから・・・」と耳打ちしました。
当然のことです。
◯◯の中身がわからない貴方はとても純粋です。
それを聞いた私はまずいと思い、無知を装うことにしました。
その結果として、「◯◯って何!?」と大声で叫びました。
父親は何も答えません。
私はどうしようもなくなって閉口しました。
父親の対処に救われたといったところです。
これを何故か最近になって急に思い出しました。
どう考えても黒歴史です。
こんな私でも今を生きています。
みんな元気出していきましょう。
しにたい。
映画はどこのサービスで買おうかな。
AmazonかiTunesかNetflixかなんだけど、ラインナップの良さで選ぼうとしても今のところ差が出てない。
アイ・ロボットはどのサービスでも買えるし、メトロポリスはどのサービスでも買えない。
メトロポリス超見たかったんだけどなあ。
原作はそのうちkindleで読むたぶん。
1927が見たいのに2001が検索に引っかかる辺り、生まれる時代を間違えたのかもしれない。
今までアクチュアリーの過去問を紙媒体で印刷して解説を直書きしてたんだけど、これをPDFファイルに移そうとしたら不具合起きて中断した。
テキストを追加しようとしたら場所移動させただけで読み込めなくなるし、注釈は改行できないし。
Big Surだからっていうのも影響してるのかなあ。
とりあえず別ファイルに書き出すだけ書き出しておく?
昔に聞いてた曲をiTunes Storeで買い漁り始めた。
動画削除/非公開のリスクをヘッジするために、YouTubeでリストにしてる動画も買う予定。
最近になって、昔の思い出を急に収集するようになった。
デジタル化に傾倒しているというのもあるけど、これは「今の人生は思うようにいってないけど、自分らしさを忘れたら本当に人生がうまくいかなくなってしまう」という恐怖が根底にあるんじゃないかと思ってる。
昔の純粋な感性を必死にかき集めているような感じ。
「こんなこともあったなあ」という回顧ではなくて、明らかに焦って集めてる。
自立している人間が家計を加味して消費行動を取るという原理から外れている。
多分、「理想的に生きている自分がとり得る行動」を、理想的に生きていないのにとってるからなんじゃないかな。
金は後から稼げば良いと目を逸らして、自己実現に必要な要素であると自分に言い聞かせている気がしている。
歩みを止めなければ良いという行動原則を作ったは良いものの、歩みが後ろに向いているような感じ。
どこかで採算を合わせないとこの生活はいずれ破綻する。
ここまでわかっているのに、行動を変えようという気が湧いてこない。
どうしたものかね、これは。